「運動靴と赤い金魚」を観て、考える


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前々から素敵な映画だと聞いていて、
やっと昨日、観ることができた。
イランの映画は初めて。


妹のピンクの靴をなくしてしまったアリくん。
家は貧しく、
お母さんは体調を崩しているし、
厳格なお父さんも生活で苦労しているから
「なくした」なんてとても言えない。
だから、
内緒で、
妹とかわりばんこで自分のスニーカーを履きっこし、
登校する。


午前中は女子生徒のみが登校。
妹のザーラちゃんは授業が終わると全速力で帰宅し、
兄のアリくんにスニーカーを脱いで渡す。
ちょっとでもザーラちゃんの帰りが遅いと、
アリくんが授業に遅刻してしまうことになるので
二人とも、スニーカーのバトン渡しに必死。


一つのボロボロのスニーカーを兄妹で共有するなんて、
日本では絶対考えられないことだ。
日本でだったら、
「靴、なくしたから新しいの買ってよ」
って言ってもなんの問題もないし、
買うのなんか当たり前。
でも、
この物語や実際の貧しい国々では
「日本からすれば、何でもないこと」に苦労してしまう。


物に対する感覚があまりにも違いすぎて、
それがなんだかせつなかった。


「物」関係で思い出したが、
私がボストンにいた時代は、
September 11、アフガニスタンイラク問題、
イラク人を収容所でいじめた問題などで
アメリカはイライラしていた。
TVやNewsweek、TIMEなどの雑誌にも
常に、
イラク事情や中東の国々の治安についての
トピックが掲載されていた。


毎日、誰かが当たり前のように死んで、
自爆テロが日常茶飯事のように起こり、
遺体がゴロゴロしているところをまたいで歩く子供、
寒い冬をビーサンや裸足で過ごしている子供の写真も
その雑誌などでしょっちゅう見た。


そんなアメリカを発ち、
自分は、
物資に恵まれた平和な日本に帰国して、
デパートなんかで
アメリカにはなかったかわいい服とかパンプスとか、
サンリオグッズを沢山買って、喜んでいた。


しかし、
日本の、
子供の商品売り場で
ハイテクな、綺麗な色の、
安全なおもちゃに囲まれて遊んでいるコ達を
フッと見た瞬間、
なんだかいっぱい涙が出てしまった
(デパートで涙、なんてヘンだけど)。


「戦争で大変な国のコだって、
楽しくてかわいいものにいっぱい触れたいだろうになあ」
って想像してしまい。


今は日本から帰って2年経つから、
恥ずかしいことに、
こういう感覚は以前に比べ、薄らいでしまっていた。
だから、
今回のような映画を見て、
再び、考え直すことができた。


。。自分の金銭力でできることは何かしたい。